Feb 11, 2005

メイドブームについて思うこと

あまり積極的に活動していない感じではありますが、なんと言われようとこのサイトはメイドさん系サイトであります。
いやまぁ別に、正直に言うとサイトがどうのこうのは、あんまり関係ないです。

大切なのは、私自身がどうあるべきかということでして、誰がなんと言おうが私はメイドさんが大好きなのであり、そんな私にとってメイドさんそのものが正義であり、王道であり、究極である、と。

まぁ、世の中にメイドさん好きという人はものすごく多いわけですが、そもそも「メイドさん」という言葉自体がすごく曖昧に使われている今の世の中、メイドさんのいったい何が正義で、何が王道で、何が究極であるかなどということは、みんなそれぞれの思い入れがあって、それぞれ主張したいことがあると思うんですよね。

たとえば『メイド喫茶』

私自身、メイド喫茶は好きではありますが、正直私のメイド喫茶好きというのは、ごっこ遊び的にいうかネタ的にというか、そういう「遊び心からくる好き」であって、私の信仰するメイドさんとは実は全く違うものであります。

もちろん「メイドさん=メイド喫茶」的な考えをする方も結構います。

そういう考えを持っている人には、私もオタクなので「いやいや、そもそもメイドさんというものはだねぇ…」と、ついつい講釈をたれたくなりますが、そもそも私の理想とするメイドさん像というもの自体、私自身の全く自分勝手な妄想の産物でしかないので、何が正解で何が間違いとか言うことは全く的はずれです。

例えば、私はガンダムSEEDがあまり好きではありませんが、SEED関連商品が売れてバンダイが潤ってくれているおかげで、MGボールとかMGパーフェクトガンダムとかいったイカレタ商品(褒め言葉)が発売されてくれるわけで、「そのジャンルが流行る」ということは、色々意見はあるだろうけども歓迎すべきことだと思うんですよ。

最強のメイド漫画として君臨する「エマ」にしても、昨今のメイドブームがあったからこそ生まれた作品なのではないかと思うんですよ。
例えば1990年代初期の頃、一部の物好きはメイドさんメイドさんと騒いでいましたが、世間ではメイドさんなどは全然認知されておらず、そんな状況で「メイドが主人公で、19世紀のイギリスを舞台に禁断の愛を描いたラブロマンス漫画です!」などという企画を出しても、「はぁ?メイドぉ?そんな漫画流行るわけねーだろうがっ!今は韓流ブームなんだから、とりあえず19世紀の満州あたりを舞台にして、朝鮮人女性を主人公に禁断の愛でも描いた漫画にしておけっ!」ってなもんですよ?(違)
メイドさんがブームというか、メイドさんという言葉が割と一般的になってきた最近だからこそ、エマの企画は通ったんじゃないかな?と思うわけで。

長々と書いてきましたが、いったい私が何を言いたいかというと、
「ま、どんな形であれ『メイドさん』ということが流行るのは、良いことだ。」
ということなんですよ。

私もいい加減30歳を超えていい歳なんだし、何が許せる、何が許せないとか、今更そういう細かいことにこだわるべきではないな、と。



・・・と書いたところで、以下の記事。

『193センチのメード!?帝王・高山がコスプレ』

なんじゃこりゃぁぁぁ!ヽ(`Д´)ノ

ごめんなさい!
「どんな形であれ」とか「今更細かいことに」とか言ってきましたが、それらはすべて綺麗事でした!

男には絶対に許しちゃいけない事がある!

高山!俺と勝負しろぉぉぉ!!!そして俺に謝れぇぇぇぇ!!!!!!ヽ(`Д´)ノ

・・・と、絶対に高山が私なんか相手にするわけがないので、安心して遠吠えする小市民な私

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